2014年3月11日
「子供の卒園式や入学式が近いから、急いでるんです、今日も子供が栄養不足で貧血をおこして早くお迎えに来てくれと言われ大変でした。子供をはじめ、皆がお腹すかせてしまってるんです(涙)お願いします、助けてください(涙)」
 
そう語るのは宮城県角田市に住む方。

東日本大震災の悲劇は2014年現在も続いているのです。

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■実査に送られて来たメール内容

地震の前までは、まだ仕事が出来る体だった。あの日は本当に恐かった。あの日がなければ(涙)
今苦しむ人も悲しむ人も亡くなる人もなかっただろうに。
あの3、11の震災さえなければ私をはじめ、こんなに辛い思いをする人もいなかっただろう。
沢山の人が生きていただろうし、笑顔でいっぱいだったはず。(涙)
3年前の3月11日。あっ!地震だと簡単に最初は思った。
そしたら揺れが止まらない。もしかして、ついに来たか宮城県沖地震がと思った。
長い長い揺れ!子供は3才。昼寝をしていました。これはただ事ではない。
でも歩けないし、恐くて体が動かなくて。。。
とりあえず昼寝をしてた子供をコタツに、すっぽり入れて私は頭だけコタツニ入って、
子供を、なでながら大丈夫じゃないのに
「大丈夫だよ、はやく、地震が止まれ、どうか家がつぶれないように」と叫びながら、
必死でした。やっと揺れが止まったと思っても3回に分けて強く長い揺れが続き
「もう生きれない」と思った。
地震の揺れがおさまったら、ものすごく精神的に具合が悪くなり
今、今、絶対に死んでしまうと思った。
電話は通じないし、もーダメ。
 
あの原発の爆発。
明日には角田市に来るぞ~と近所の人が騒わぎ、意味がわからなかったです。
ホウシャノウって何?・・・
何がこんなに恐ろしいものか、分かりませんでした。
一番最初に降る雨は危険と聞き、雨が降った時は子供にカッパを着せ、
抱き抱えながら傘をさして行動をしました。
そして子供を出来るだけ家の中で遊ばせ、外で長い時間は遊ばせないようにしてます。
隣の町は福島県。福島県では子供も大人も賠償金を何度ももらっていると聞くのに
すぐ横の角田市は何にももらえないのです。
隣の町は丸森町ですが私の住んでる角田市と丸森町では、
放射能の数値が、ほとんど変わらないのに角田市は賠償金は無い。
丸森町の子供は首の部分で放射能検査を行い、無料で見てもらえますが
角田市は1時間かけて大学病院まで行き、自己負担でないと見てもらえないのです。
この差別は、何なんでしょう、ひどいです。

あれから精神病になった。
不安障害と、パニック障害。どこに行っても入り口に足を一歩ふみいれると、
具合が悪くなる。これは、なった人にしかわからないと思う。
こんなふうに私のように精神病になった人は大勢います。
そのせいで仕事ができず生活はめちゃくちゃ!
仮設住宅の所だけには沢山の支援物資があったが、
他の地域の所には、なかなか支援物資きませんでした。

2日間だけ支援物資の山分けがありましたが、それだけでした。
同じく恐い思いし、店から食べ物全てが無くなったのに、
こちらの方には、ほとんど何も支援物資は届きませんでした。
ガソリンも無く、まるで戦争でした。
みんな、生きる為に争って食べ物を仕入れていました。
 
3年前東日本大震災以降ずっと精神的な病気になり、
どこに行ってもすぐ具合が悪くなり、一人でどこにも行けず、
仕事をしたくても出来ず大変な生活をしています。
 
父親はまもなく80才。母親は78才。
唯一、頼りにしていたお兄ちゃんは震災で植物人間になってしまい一家は火の車です。
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現在は、たまにもらう野菜や、わずかな米、
パン屋さんでいただく食パンのミミなどで食いつないでます。
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でもさすがに辛くて。。。
そして子供が可哀想で。。。
私のたった一人の息子は今年小学生になるのですがランドセルさえ買えず、
卒園式や入学式に着るスーツさえ買えず困ってます。
だって3年前からお菓子やジューさえ我慢させないとダメで親としては辛いのです。
おもちゃも3年間一度も買ってあげれなくて、
今はカメンライダーガイムが大好きなのですが
我慢して、新聞で子供なりにケンとか、おもちゃをつくってます。
しかも新聞も家には無いので子供が隣の家にもらいに行って作るのです。
もー見てられません。
普段の服もボロボロで、児童館で名前では呼ばれず「ボロボロ貧乏」と呼ばれてるのです。
本当に辛いです。でも子供は強いです、嫌な顔せず笑ってごまかしています。
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私が精神病になってから、なぜか伝染病のように父親母親まで精神病になり、
車の運転が出来るのは旦那だけで、旦那が家にいないと病院に連れていく人がいなくなります。
元々、旦那は土建業でした。
だから震災後は津波の片付けの仕事に行ってました。
瓦礫を片付けると毎日亡くなった人たちが出てきて、
周りを見れば変わりはてた町。。。
旦那は毎日帰ってくると本当に辛そうでした。毎日夢でうなされてました。
そんな毎日を一年間続け、ついに旦那まで精神病になってしまいました。
でも旦那は家族のために病院へ連れて行ってくれたり家事を仕事全部してくれたりします。
ただ、仕事には行けません。
病気もあるけど年をとった病気の親と、病気の私をおいて仕事にならないのです。
私たちが頼れるのは旦那しかいないから病院にすぐつれていける旦那。
皆の介護をする旦那は仕事が出来なくなってしまったのです。
でも、本当にたまに前仕事していたところから、どうしても来てくれと言われてるので
都合の良い日だけ月に3~5回だけバイトで行きます。
  
役所に生活の事、子供の事などを相談しましたが話を聞くだけで何も助けてはくれません。
家には家のローンがあるし、生活保護を受けると車が取られと聞き
私は家の車でないと病院に行けないし、バスや電車のると具合が悪くなるので
車は必要だから生活保護は受けられないし、
いくら役所に話しても良い話にならず生活が改善されないのです。
  
最後の希望は皆様からの支援物資です。
3年前から何も変わらない私たち家族を皆の支援物資で助けてください。
近所で困ってる人にも分けてあげたいので、日持ちのする食料品、日用品、除菌剤や救急セット
電化製品など。
 
出来れば息子の卒園式と小学校入学式のための服やランドセル。
 
今だに私の体は良くならないので生活は戦争時代のよう。
誰かこんな私たち家族に愛の手を支援物資を送って助けてください、お願い致します。
どうか日本中の皆様からの、あたたかい気持ちをお願い致します。
私たち家族が笑顔になるように光をあててください、どうか、どうか、お願い致します。
 

以上、2014年3月11日に送られて来たメールの内容です。
ご協力頂ける方は送られる支援物資を本人にメールにて確認を行なってください。

 
直通メールアドレス momo3.16@softbank.ne.jp

 
【注意】
支援物資は本人の自己責任で行なってください。
支援物資が重複しないように、上記の本人に確認後に行なってください。
万が一トラブルが生じても当がんばれ東日本は一切責任を負いません。