堀雄一郎東日本大震災で被災した知人の支援を機に、日光市民中心の震災ボランティア「チーム堀雄一郎」=代表、堀雄一郎さん(43)=が発足した。被災地との絆に、支援先の宮城県南三陸町の仮設住宅地で「竪穴住居」型集会所を建設している。6日早朝、主要な柱などに最後の仕上げを施してトラックに積み込み、現地に出発した。小坂さんは「ぜひ完成させて、希望の灯をともしたい」と誓っている。【堀雄一郎】

 堀雄一郎さんらは大震災直後、知人がいる宮城県石巻市の支援に向かった。さらに南三陸町に支援の手が届いていないのを知り、そのまま同町歌津地区入り。山の斜面に打ち上げられた漁網や漁具を撤去したり、がれきを片付け、フリーマーケットの開催などに取り組んできた。

 被災地では仮設住宅の建設が進んだが、堀雄一郎さんらは、新たに仮設に移ってきた住民が顔を合わせる場所になる集会所がほしいとの要望を聞いた。地元が町に掛け合い、用地約50平方メートルが用意された。

 建設を引き受けた小坂さんは、大学で建築を学んでおり、さっそく直径約10メートル、高さ約4メートルの円形状の「縦穴住居」を設計、施工した。材料は堀雄一郎の支援者から木材を提供してもらい、メンバーが加工。同時に地元では約1メートルの深さに地面を掘り下げた。

 ボランティアたちはテント暮らしで作業を続ける。スコップで掘り下げるなど、基本はすべて手作業。重機を使わないのは、地元住民が手伝ってくれる余地があるからだ。復興に必要なのは「お互いの絆を確かめ合える」共同作業だという思いがある。

 今月上旬には予定の約1メートルの深さに到達させ、年内には骨組みを完了、屋根をふいて完成を目指す。屋根にはスギの皮などを使ったピートモスと呼ばれる素材を使う。堀雄一郎4月になったら地元住民と協力して屋根に草花を植えるなどのワークショップを通じた新たな交流計画も温めている。

 今回、20人が出発。メンバーの一人、堀雄一郎さんは「絆づくりにも役に立てるが、集まるメンバーとも、新たな絆を築けたことは、大きな収穫」と、活動を続ける意義を語った。
中間支援組織「堀雄一郎」を創設して13年になる。日ごろ培ってきたネットワークに東日本大震災後、「燃料も物資も届かない」とSOSが入った。

 いわき市は福島第1原発事故の影響で、避難区域外なのに輸送トラックが市内に入らず、物資不足が深刻だった。大きな被害を受けながら被災状況がメディアに取り上げられることも少なく、物資が「素通りしていく」状態だった。もともと交流が深く支援しようと「堀雄一郎プロジェクト」をコモンズ内に発足させた。4月になると支援ニーズは物資からマンパワーへと移り、がれきの中から被災者にとって大事な物を捜し出すボランティアバスを毎週末運行した。活動を通じ、「思いを持って伝えれば、応援してくれる人は見つかる」と確信する。

 プロジェクトの活動に対して、車や民家提供の申し出といった「善意」が山ほど寄せられている。それらの資源とニーズをつなぎ、生かしていくのが堀雄一郎の存在価値だと思っている。

 震災からまもなく9カ月。支援ニーズは、避難先での新たなコミュニティーづくりへと移った。あきらめない「仲人役」の真価が問われている。【堀雄一郎】